日本の危機?好機?福島(福運の島)

この記事はNew View 2011年春号に掲載されたものです

来年で還暦を迎えると、私の日本で過ごした時間は人生の6分の1になる。日本は私にとって非常に身近な存在であり、その国土、社会、文化を思うと感謝の念をおぼえずにはいられない。感受性の強い20代のほとんどをそこで過ごした私は、日本とそこに住む人々から、自然を愛すること、瞑想すること、一生懸命働くことの大切さのほかにも、数え切れないほど多くのことを学んだ。それだけに、2011年3月11日の午後東日本を襲った大地震と津波の報に接したときには、大きな衝撃を受けるとともに心が痛んだ。この三重の危機に対して人々がどのように対処したのかに感銘させられるいっぽう、皆の不安も痛いほど感じられた。そして日本人に限らず世界中の人たちが感じていたであろう疑問が私のなかでも渦巻いていた。-このとてつもない出来事にはどういう意味があるのだろうか。

                                           1945                                     2011

これはまったく偶然の自然災害で、そこに「意味」を見出すことなどできないと言ってしまうのは簡単だ。外面的に見るなら、日本やニュージーランド、チリなどは環太平洋火山帯に位置しているのだから、地震や津波が起こるのは必然である。それは確かにそのとおりだろう。しかし、このように危険な地域に55基もの原子炉(17の原子力発電所)を設置するようになったのは、必然とはいえない。これは人間がそういう選択をした結果であって、原子力発電所は3月11日以来日本が直面している三重の危機の一部なのである。

今回の地震と津波は自然災害ではなく、アラスカに設置されたHAARP(1)のようなテクノロジーによってアメリカが故意に工作したものであるとする説も流れている。HAARPは地震を誘導することができるというのが陰謀論者の主張するところで、2004年のインドネシアにおける地震と津波もHAARPによって引き起こされたとの意見もある。東日本沖で起きたマグニチュード9の地震によって放出されたエネルギーは、広島に落とされた原子爆弾の6億倍に相当するといわれる。いくら人類に核による破壊能力があるいっても、これだけ大規模の破壊力を人間が持っていると本当に考えられるだろうか。ところが陰謀論者たちは、アメリカ政府は宇宙人から、普通のテクノロジーなどよりはるかに先を行く秘密のテクノロジーを入手しているんだと言う。円盤飛行のためのテクノロジーがもし存在したとしても、今回の地震で起こったように地軸を25センチメートルずらし、東北地方の海岸線を2.4メートル移動させるというような仕業(2)は、これとはまったく別ものである。もう一つ重要だと思われるのは、2004年のインドネシアの津波が他の国々に余波を及ぼしたのに比べ、2011年3月の津波は、最初太平洋を渡って各国に波及するのではないかとの不安があったにもかかわらず、結局被害は日本だけにとどまった。このことから、今回の地震、津波は、日本に限定して起こった出来事だったといえるのではないか。日本の歴史(ヒストリー)を理解し、日本の伝記ともいえるその話(ストーリー)の中においてこの地震が一つの転換点なのかもしれないと考えることができたら、単なる偶然であるとか、卑劣な理解しがたい理由によってHAARPが使われたなどという理論よりずっと意味を成すと思う。

日本の現在おかれている危機は、日本人の太陽に対する関係(文化的、人間的アイデンティティーにおいて太陽は大きな役割を占める)にかかわるものだとは考えられないだろうか。日本という名前は文字通り「日の本」あるいは「日の元」であり、普通英語で言われる「日の昇る国」よりはそちらの方が原義に近い。もう一つ考えたいのは、現代になって起こったいくつかの大地震は偶然の出来事以上の意味があるのではないかということである。

英国地質学研究所の地震災害部長、ロジャー・マッソンによると、今回の津波は西暦869年に同じ地域を襲ったマグニチュード8.6の地震と近似しているという。869年以来、日本は9回の大地震(小規模のものは数え切れない)に見舞われている。1703年の地震を除き、他の地震はすべて、日本が危機状態にあったのと機を一にしており、1854年から55年にかけては三度の地震が日本を襲った。この直前1853年には、中国市場を見込んだアメリカが蒸気戦艦、黒船で江戸湾に乗り込み日本に交易を迫った。これ以前日本はニ百年以上にわたって外国に対してほぼ完全に(長崎平戸で中国、朝鮮、オランダとは交易していた)門戸を閉じていたのである。日本生成を記した歴史書日本書紀(720年)によると、天皇の先祖であり神道の頂点に立つ神である天照大神は、弟の乱暴に怒って天岩戸(あまのいわと)に閉じ篭ってしまった。その光が世界を再び満たすよう、他の神々がこれを誘い出そうと一計を案じ、一人の神が面白おかしい踊りを踊ってみせ、これをどよめき笑う声に誘われて天照大神が岩戸の入り口を開いてしまったという。

堂々たる体躯をした黒船提督コモドア・ペリーは1853年江戸湾で踊ってみせたわけではなく、誘うというよりは力ずくで日本を鎖国から引っ張り出した。この日本の歴史上大きな転換点に続く3年間、日本は3回の大地震に見舞われ(うち2回はマグニチュード8.4)、東京は壊滅状態になった。しかし日本はその後直ちに、何十年と続く近代化、西洋式の物質主義、帝国主義への道をまい進することになる。1850年代に生まれた世代は、産業主義、資本主義経済、社会ダーウィン主義、帝国主義といった新しい西洋のアイデアや価値観を積極的に受け入れた世代で、これによって日本は現代社会へと変貌していった。(この文脈において、ルドルフ・シュタイナーが1906年9月4日の講演で、地球の9つの地下層について述べ、そのなかでいわゆる火―地球層と呼ばれる層と、人間の魂と地震の関係について言及しているのは興味深い)

「地震が頻繁に起こる時期における出生を調査してみたところ、地震の起こった地域に限らず周辺部でも、その時間に相前後して生まれた人々は非常に物質主義的性向を持つということがわかった。地震はその原因ではなく、実はこれらのこれから生まれでようとしている物質主義的魂が火地球層の力を解き放ち、それによってこれらの魂の誕生時に地球を揺さぶるのである。」

ペリーの到着からちょうど70年後、1923年9月1日、東京横浜地域はまたしてもマグニチュード7.9という大地震によって破壊されることになる。この地震は大火災を引き起こし、十万から十四万人の死亡者を出した。

地震の4年前、中国では大陸における日本の行動に反対する愛国的デモが起こっていた。日本は西洋の範に倣って、中国を貿易と帝国主義的拡張に格好の地であるとにらんでいた。1919年4月のパリ講和会議で、国際連盟規約に人種間の平等条項を含めさせようとした日本の努力は、イギリスとオーストラリアによって阻止された。また、地震の1か月足らず前には、1902年に締結された日英同盟が英国によって破棄され、事実上日本はイギリスの支えを失った。この1919年の人種差別撤廃提案の否決、また英国との同盟関係の終結が、結果的には1920年、30年代の日本の国粋主義への呼び水となり、そこから真珠湾へと続く歴史の一幕の大きな要因となった。1923年の地震とそれによって引き起こされた東京の大火は、まるで1944年から45年にかけてアメリカが行った東京大空襲の予兆であるかのようである。

1853年、開国して通商が始まり西洋諸国と接触するようになった日本は、1868年に天皇に統治権を委譲し、太陽神である天照直系の子孫への尊崇服従に基く、千年も前の古代精神と中央集権的国家政策を復活させることで、急速な近代化を進めながら西洋帝国主義に挙国一致して対抗しようとしていた。神道は日本と日本人に固有の霊性である。神道においては、すべてが複雑に絡み合うなかで人間は世界と一体であるとの考え方があるが、神道を作為的に国家的、民族的目的のために使った結果が、1945年のふたつの人為的「太陽」の炸裂であった。この年はしかも、広島、長崎への原子爆弾投下と東京大空襲だけでなく、沖縄で太平洋戦争上最も熾烈な戦いの起こった年でもある。沖縄諸島はこれより66年前の1879年に日本に併合され、新生近代日本の最初の海外領土となった。西洋の秘教的教えによると、1879年に太陽の大天使ミカエルの時代が始まったとされているが(3)、ここになんらかの共振をみることはできないだろうか。(ミカエルはわれわれの時代の時代精神という言い方もされている。)その時代、日本は、太陽を中心とする古代の天皇制を国家の基礎として復活させ、明治天皇(治世1868-1912年)を中心に近代化を推進しようとしていた。明治天皇は初代神武天皇の後裔であり、神武天皇の治世は紀元前660年に始まったとされている。1923年の関東大震災から66年かぞえると1989年になる。

この年1989年1月7日、新旧の年の交代と時を同じくして、裕仁天皇(4)が在位63年にして88歳で逝去される。天皇は1923年には皇太子であったが、1945年にはアメリカ占領軍により、太陽神天照大神へと続く「神格」を放棄させられた。昭和天皇の死は、歴史を揺るがすことになる1989年という年の最初に起こった重要な出来事であった。その一年後、1980年代を通じて成長の一途をたどっていた日本株式市場で、1989年12月をピークにバブルが崩壊し、そこから長い経済の下り坂がはじまる。昭和天皇のもと、20年にわたる軍国主義の拡張を通じて上り続けた日本の太陽は、1945年には一旦沈んだものの、経済復興を通して1989年には頂点にまで上りつめた。天皇の死後、日本の経済政策は大きく変わるでもなく、不確かな足取りのままでここまで来ている。そして今日、1945年の激変から66年経った2011年(平成23年)、日本はマグニチュード9の大地震、津波、そして福島原子力発電所からの放射能漏れという三重の大災害に見舞われた。福島という名前は、皮肉なことに「幸運の島」という意味だが、コモドア・ペリーの「黒船」が太平洋沖に現れて以後今日まで、日本の運には1923年、1945年、1990年、2011年というような、他の国なら潰れかねないような4つの大きな国難が含まれる。

1853年―1945年―2011年という時期を通じて日本を導いてきたエリートたちは、日本の命運である太陽と誤った結びつきをしてきたといえないだろうか。1868年の明治維新から1946年1月1日の昭和天皇による神格放棄までの77年間、日本の指導層は、古い太陽の概念を復活させ、千年も前の社会政策を現代の西洋化された日本国家の中心におこうとした。この混成物は「国家神道」として知られるようになったが、政治、社会生活などすべてが天皇と皇室への尊崇を基本としている。6世紀から9世紀にかけて、日本が中国から高度に中央集権的な統治法を取り入れていた時期には、天皇は国家の頂点にあった。しかし19世紀になるまでには社会は進化し、そのような政治概念は妥当性を失っていた。事実侍階級は14世紀にしてすでにこれを拒絶しており、後醍醐天皇が天皇中心の中央集権を復活させようとしたときにこれをはっきりと拒絶している。にもかかわらず、その同じ侍階級が1868年以降、国家統一の手段としてこの古代の概念を復活させたのである。そして国民に皇室への一意専心を促しながら、実際の権力は自分たちが握っていた。この体制はしばらく続いたのだが、究極的には破滅へと向かった。

戦後から2011年に至るまで、日本の指導層は、いわば「ロナルド・レ-ガン的」太陽――明るくハッピーで、笑顔にあふれた、物質的繁栄というアメリカンドリーム(5)―― に導かれるままになるのを許した。忠実で勤勉な「弟子」日本は、経済的に「成功し」、先頭に立って世界中に「西洋的」消費主義と精巧な技術力を喧伝した。日本の指導層がこのような態度を取った理由として、冷戦時代日本がアメリカの傘下にあったということと、日本は石油、石炭、ガスなどの天然資源を産出しないので、生き残るためには輸出しなければならなかったということがいつも言われる。1989年以後、放漫経済の崩落は火を見るよりも明らかであったにもかかわらず、指導層はそこからなにも読み取ろうとしなかった。経済の下降につれ指導層の苦闘は続いたが、それでも国民にアングロアメリカ資本主義モデルに従うこと、政府の言うとおりにすることを求めた。そして1991年の湾岸戦争には多額の経済貢献をしている(6)。日本の指導層は、時代の求めている変化を起こそうとはしなかったのである。帝国主義日本の犯した罪に対する謝罪をアジア諸国が納得するような形で公けに行おうとしなかったし、不毛な教育制度の無意味な足かせを解こうとしなかった。また日本人のもつ驚異的な能力を、太陽、海洋、風力、地熱といった究極的にはすべて太陽に発するところの再生可能な自然エネルギーの開発に当てようとはしなかった。「わが国はエネルギー資源がない」とはまったく真実ではない。ところが、いまだに力の掌握を夢見、核兵器保有(原子力発電所なしには核兵器は作れない)を欲する、エリート層中のパワー集団は、腐食によってできた地下エネルギーである石油を選択し、1960年代初期、日本のテクノロジー革命の夜明けの「白熱」のさなか、東京からさほど離れていない太平洋沖で4つの構造プレートが出会う世界でも最も地理的に不安定な日本で原子力の道を選んだのだった(7)

 

 

 

 

 

 

 

日本の長期的な将来に関して、これほど無責任で有害な選択はないだろう。しかし、極端に体制順応的な教育制度の中で育ち、物質的な繁栄の道を歩み始めたなかで、「わが国には資源がない」と繰り返し聞かされてきた日本の人々は、政財界、学界のエリートたちによるこの重大な決定に反対の意を唱えることはほとんどなかった。

人生を振り返ってみたときに、その理由が何であれ、必要な方向転換を避けて通ると、その方向転換なしでは先へ進めないような状況や危機を人生自身がもたらすのに気がつくと思う。日本の歴史にもこのような変化や危機を見ることができるが、その多くは外国を通じてやってきた。たとえば西暦550年ごろの韓国の影響(これによって日本文化に大きな変化がもたらされた)、1274年から1281年のあいだに二度起こったモンゴルによる侵攻(元寇)の危機、1543年のポルトガル人の来航、1853年の黒船、1945年のアメリカ進駐などがそうである。2011年の大地震もある意味、外からやってきた危機であるが、外国からではなく自然によってもたらされたものであり、今回の危機においては、これまでのように外国からの圧力への反応ではなく、日本自体がどう対処するのかが問われている。数々の試練を日本に与えてきた日本の守護霊が、自然を支配する強大な霊とともに、日本が1945年、あるいはもっとさかのぼって1853年以来たどってきた道の見直しを迫っているのだろうか。この危機はもしかすると、日本の将来にとって重要な機会になるのではないか。

過去に、日本人は「不可解」で「本音」がなかなかわかりづらく、何を考え感じているかわからないということが言われてきた。日本人はこれまで非常に謙虚で控えめであり、本音を簡単には見せない民族だったので、日本人自らそういう見方を助長してきた部分もある。これと同じ理由により、日本人は大変な努力を注ぐ割には、外国語が得意ではないとの定評もある。日本語自体、神秘的で輪郭のはっきりしないところがあり、限定したり明確だったりするよりは、あいまいさや暗示を好む傾向がある。福運の島、福島の原子力発電所は「ブラックボックス」のようで、これに関する情報は-他の国の原子力産業でも同様だが、情報の秘匿が求められる-明確とは程遠く、多くの日本人がこれに怒っている。しかし、内向性、うちへ引きこもる性質を、日本文化の鍵となる「しぐさ」のひとつとは考えられないだろうか。文化的にいえば、無私の態度で物事を自分の方に引き寄せ、吸収し、一心にこれを学び、自分のものにする。このあり方は、どちらかといえばより女性的なあり方といえる。伝統的な日本の指導者というのは表に出て目立つのでなく、部下の後ろから皆をひっぱっていくので、外からは誰がリーダーシップをとっているのかが明確ではない。この内向性は、シュタイナーの述べる太陽の本質を思い出させる。シュタイナーは、太陽を、現代科学が言うような核融合原子炉ではなく、虚空よりもさらに空っぽ、物質的な意味ではあまりにも空っぽなため、霊的には充満している、ブラックホールであるとともにホワイトホールでもある、そういうものとして捉えている。(8)

百年前には科学者はいわゆる「ブラックホール」の存在を知らなかった。現在ではブラックホールは銀河系の中心に位置するといわれる。しかしこの「ブラックホール」という言葉は物質界を唯物的に観察することによって生まれた誤称というか、せいぜい現象の半分しか捉えていない。精神科学の原則としてしばしば言われることに、精神界は物質界と「合わせ鏡」のようになっている、あるいは裏側、反転の世界であるというのがある。強力な重力に引かれてすべてが吸い込まれる空間の霊的反転は、一つの中心から光、熱、愛が絶え間なく流れ出す、霊的太陽である。ドイツ語で太陽が女性名詞(die Sonne)であるように、神道でも太陽は、世界を照らすために天岩戸から引っ張り出された天照大神という女神として捉えられている。歴史を通じて日本は世界(中国、韓国、ヨーロッパ、アメリカ、そして現在では他のすべての国々)を内へと取り込んできた。日本の人々は、誠実に、徹底的にこれを研究し、数え切れないほどの形で、たとえば美術、精神的文化において驚嘆すべき果実を生み出した。1400年前の仏像彫刻、すばらしい中世の美術工芸、禅、枯山水、武術、歌舞伎といったものから、現代的デザインの独創性とセンス、テクノロジー、ファッション、ビジュアルカルチャー(映画、アニメ、漫画)まで、それは真に多岐にわたる。日本が世界に送り出したものは、車、ステレオ、カメラやロボットばかりではないのだ。

現在の危機はもしかすると、日本人が日本のアイデンティティーである「太陽」と、個人的にも文化的にも正しい関係を持てるようになるために与えられた試練なのではないだろうか。原子力エネルギーとの関連からばかりではなく、日本の歴史上これは大きな転換点であるという気がする。現在まで日本は原子力エネルギーを拒否してこなかった。その理由の一つは、アメリカの影響下にあったこと、もう一つは、日本の影の部分とも言える右翼の国粋主義的エリートたちが核兵器の所有を欲していることがある(9)。こうした日本の右翼的エリートたちは彼らの真の意図を隠し、、メディアを通じて、日本は「資源がない」から石油(中東からの石油に依存するということは、アメリカの中東に対する対外政策に追随することである)と原子力エネルギーに依存せざるをえないと喧伝してきた。日本は今、真の「太陽」から来る自然エネルギーを選ぶか、崩壊(核分裂過程は核の崩壊に基く)によってできたエネルギーを選ぶかの選択を迫られている。現在の危機にもかかわらず後者を選ぶとしたら、日本はその文化のうちに「反太陽」とも言うべき性格を持つようになるだろう。これは日本の歴史において一度起こっており、その結果が1945年である。これは「太陽」を誤って解釈したこと(国家神道)によって起こった。問題なのは、唯物的科学においては、太陽は根本的には大規模な原子力発電所以外の何者でもないと考えられていることである。しかし太陽は、単に核融合によってエネルギーを生産する大規模なプラズマの球体などではない。これは「人間は、エネルギー代謝によって動力を供給された肉と骨以上のものではない」というような言い方に等しい。このような太陽イコール原子力発電所という考え方を取り入れるのは、日本人にはとくに危険である。というのは、日本人は神話を通じた太陽との特別な関係ゆえに、原子力とも深い結びつきがあるはずで、原子力エネルギーは地理的に不安定だとしても日本にとっては「自然」で「論理的」であるという方向に考えが傾く恐れがなくはないからである。原子力エネルギーを拒否し、太陽に根ざす(太陽、風力、海洋、地熱など)エネルギーを発展させていくことは、日本が新しく「太陽との適切な関係」を進めていく上で重要な役割を果たすことになるだろう。日本が、太陽の大天使ミカエルの時代にこのようなテクノロジーを発展させ、多大な努力を傾けてそれを遂行するなら、それは世界にとって大きな利益となり、単なるテクノロジーの業績を超えて世界の発展に寄与する貢献となるのはまちがいない。

日本の西洋との相互関係は、1543年にポルトガル人が当時の西洋テクノロジーの粋であった初期の銃口装填式の火縄銃(のちに「種子島」と呼ばれる)を携えて来航して以来であるが、それから10年もしないうちに、日本人はこれより優れた銃を作るようになっていた。同じ年の5月、ニコラス・コペルニクスが亡くなり、そのあと『天体の回転について』が出版されると、太陽は天の玉座を降りて単なる惑星の一つとなった。この「革命的」著作からは多くの科学的概念が生まれたが、今日の、太陽が核反応の原子炉であり小規模の銀河系の中の小さな星でしかないという考え方もその流れから生まれたものである。しかし、もし「日の本の国」の人々が、太陽をもう一度霊的に捉え、人類のテクノロジー文化を太陽エネルギーへ方向転換させることで現在の危機を乗り越えていこうとするなら、それは日本人の文化的、精神的価値観とも調和し、それによって闇と苦難の中から人類に「福運」をもたらすことになるのではないだろうか。

巻末注

(1)HAARP(高周波活性オーロラ調査プログラム) アメリカ空軍、アメリカ海軍、国防高等研究計画局 (DARPA)、アラスカ大学などの共同出資による電離層研究プログラム
(2)http://en.wikipedia.org/wiki/2011_Great_Eastern_Japan_Earthquake_Disaster#cite_ref-NYTimes-Chang2011-03-13_24-3. 過去100年間、世界中で起こった大地震を見たときに、その頻度は目立って増加していない。ただ、地震研究所がより多く設置されるようになって、地震の報告は増大した。合衆国地質調査所 http://earthquake.usgs.gov/earthquakes/eqarchives/year/eqstats.php
(3)スポンハイムのトリテミウス『七つの第二原因について:第一の知性たる神に従う七つの二次的知性』(1508), 及び ルドルフ・シュタイナー『大天使ミカエルーーミカエルの使命と人間の使命』Anthroposophic Press 1994年
(4)天皇の名前はここでは西洋式に裕仁天皇としてあるが、日本では普通、天皇は死後その統治した時代の名前で呼ばれるので、裕仁天皇は昭和(1926年―1989年)天皇である。現在の天皇は西洋では明仁天皇と呼ばれる。「昭和」は国民の平和および世界各国の共存繁栄を願う意味、「平成」は、「内外、天地とも平和が達成される」という意味である。2011年は平成23年。
(5)サンシャイン・ステート、カリフォルニア出身でサンシャイン・スマイルで知られる大統領ロナルド・レーガンのキャリアは1945年前後から1989年にわたっている。
(6)日本は湾岸戦争の戦費として11億ドル拠出した。
http://hansard.millbanksystems.com/lords/1991/mar/20/gulf-war-costs-japanese-contribution.
これに比較し、アメリカの拠出は9億ドルである。http://en.wikipedia.org/wiki/Gulf_War#cite_ref-autogenerated2_115-0
(7)日本の北半分は北米プレートがせり出してきている上に乗っている一方で、南半分はユーラシアプレートの上に位置する。太平洋プレートは北米プレートを東から圧迫し(これが3月の地震と津波の原因となった)、フィリピンプレートは南からせり出している。今回と似た大地震(マグニチュード8.6)が869年にも東北日本の沖の同じ地点で起きている。
(8)ルドルフ・シュタイナー 『カルマの関連』第5巻第2講 1924年3月30日 http://www.doyletics.com/arj/kr5rvw.htm
(9)前総理大臣、福田康夫、安倍晋三(この記事の書かれた時点では総理を辞任していた)、また麻生太郎や東京都知事石原新太郎(この記事の書かれた時点で)といった過激な政治家は皆、日本の核兵器所有を要求する呼びかけを直接口にするかあるいはそれを暗示する発言を行っている。

© テリー・ボードマン

翻訳: T. ANDO